静岡の活躍
静岡の活躍 ― 100周年記録より
昭和21年夏、静岡県弁護士会の重鎮であり、元県会議長の鈴木信雄氏(大正9年法卒)が市内の校友に呼びかけ、学生代表を交えて、戦後第1回の会合を開催し、同氏が初代支部長に就任した。
昭和31年4月1日、静岡県連合支部が結成されると同時に鈴木氏が県支部長に就任したため、後任として公認会計士の菊池寅之助(大正12年商卒)がついでいる。昭和40年10月10日に全国校友大会を開催、昭和44年1月10日に神戸利夫氏(昭和18年政経卒)が三代目支部長に就任した。このころから支部総会は原則として毎年1月10日、新年会を兼ねて行われるようになった。
昭和49年10月10日に三木武夫氏を迎えて二回目の全国校友大会を開く。昭和59年1月10日の支部総会で県会議員の松永清一氏(昭和22年法卒)が第4代支部長に、昭和61年1月27日に、第5代支部長として森川俊治氏(昭和24年法卒)が就任している。
昭和60年5月26日、本部代議員総会で静岡地方支部から独立支部として移行が承認され、全国で128番目の支部となった。
戦後40年間の支部の動きは以上のようなものだが、その間支部総会は毎年欠かさず開催され、はじめのうちこそ40人ほどであった出席者も、最近では 100人を超す盛況になっている。
また当支部主催のマンドリンクラブ定期演奏会はすでに27回を数え、多くのファンをこの地に定着させている。そして母校ラグビー部を迎えての招待試合も4回主催し、当地のラグビー愛好者に感謝されている。